ハルヒによるハルヒのためのハルヒの尋問を終え、文系部室から紙一重の生還を 果たした俺が教室の扉を開けたとき…………そこは地獄界と化していた。 「…………なんなんだ、これは」 教室の真ん中に、次元断層が見える。おいハルヒ、お前の待ち望んでいた異世界 だぞ。 片方の世界には男子の群れが存在し、片方の世界には女子の集団が存在する。 男子の方は憎しみと妬みに彩られたまさに暗黒界であり、それら負のエネルギー は巨大な固まりとなって俺の精神を押しつぶす。 かたや女子の方はというと、不安一色。男子のようにない混ぜになった空気と違 い、不安のみがその世界を満たしていると言っていい。 …………俺はどうすればいいんだ? 「あー…………どうしたんだ、これ?」 …………誰も答えない。答えない。沈黙有るのみ。道がふさがっているので、席 にも座れない。 俺が途方に暮れていると、もはやたった一人になってしまった友人が、俺に向け られている負のオーラを十分の一ほど浴びながら、駆け寄ってきてくれた。 持つべき物は友、だな。 「国木田……こりゃ一体どう言うことだ?」 「みんなキョンのこと話してるよ。男子の方は完全な敵対心、女子の方は涼宮さ んとキョンが二人でどこかに行ったから不安がってるみたいだね」 ……その敵対心をお前も浴びているのはなぜだ。 「僕ももらっちゃったから」 …………国木田の顔が、少しやつれて見えた。こいつを気の毒だと思うのは初め てかもしれん。 「……チャイムが鳴るまで座れないみたいだね」 「お前も苦労してるんだな……」 その日、俺は古泉が国木田に替わればいいのに、とか考えていた。 『チョコandチョコレート』 放課後。部室。俺はSOS団のアジトと化している文芸部室で、ただ黙々とチョコを 食っていた。 ちなみに古泉は欠席である。なぜかだと?アルバイトだそうだ。 「あのー……もしかして、いりませんか?」 チョコ山の向こう側から天使の声が降ってくる。 「いえいえ朝比奈さん、あなたのチョコなら例えイチゴを食べる直前だとしても 喜んで食べさせていただきますよ」 いつもより形容する言葉がしょぼい気がするが、これだけの甘味を食っていれば 仕方がないだろう。 長門にもらった分は、ふつうのチョコに飽きてうんざりしたときに食ってしまっ た。信じられない事に、他のチョコより圧倒的に旨かった。 「うふ。じゃあ、ここにおいておきますね」 ありがとうございます。俺の精神力がつきてきた頃に食べることにしよう。 その日、ハルヒは部室に来なかった。 ============================== 長門や朝比奈さんが帰った後も、俺はまだ部室でチョコに明け暮れていた。 チョコになってしまいそうだ。 「も……もうダメだ……」 最後の精神力増強剤であった朝比奈さんのチョコも、すでに俺の体中に当分とし て巡っていることだろう。 だが、それでもかなりの量を減らせたな。自分でも信じられないほどに食えたも のだ。 まあ量を形容する言葉が少しばかり過剰だっただけかもしれないが。 もうチョコのチの字も見たくない。朝比奈さんのチョコなら「あさひ」くらいま で許せてしまえそうだが。 とりあえず今日はハルヒが部室に持ち込んだ冷蔵庫に保存しておくとするか。 「さて…………ん?」 冷蔵庫を開いた瞬間、俺の網膜に投影された物体は、今日一日、イヤと言うほど 手に取ってきた物と同じ形状をしていた。 ハート型。赤い包み紙。黄色いリボン。 ………これは、まさか。 「…………いくら何でもありえんだろ……」 チョコレートだった。バレンタイン氏の命日に、女子が男子に送る、恋とか愛と かそう言った類の感情を示すもの。 俺は一日の最後に偶然見つけたそれを、何となく手に取り、裏返してみる。 手紙付きだった。 「…………まじか………」 俺は硬直していた。 手紙を持つ手がふるえている。 内容はこうだ…。 『キョンへ。 あたしはたぶん、あんたにこれを渡すとき、あたしの本音を少しも出せてないと 思うの。 だから、とりあえずあんたみたいなバカキョンでも、ちゃんと見つけられるとこ ろにこの手紙を隠しておくわ。 あたしはキョンが好き。 本当だからね?冗談だろ、とか、嘘だよな?とか、思ったりしてるだろうけど、 間違いなくあたしはあんたに惚れちゃってるわ。 もーぞっこんよ、ぞっこん。 だって考えても見なさいよ。なんだかんだ言ってあんたはちゃんとあたしに付い てきてくれるし、入学したときなんかあたしに話しかけてくれたのあんただけだ ったのよ?まぁその時は普通の人間が話しかけてくるなとか思ってたけど、何か 意外と優しいとこもあるし。まだまだいろいろ言いたいこと有るんだけど、紙が 足りないから終わりにするわ。こんな可愛いレターセット買ったの何年ぶりかし ら。 もう一度、言っておきます。 あたし、キョンが好き。 明日までに返事をよこすこと。 でないと死刑だから。 涼宮ハルヒ』 はっきり言おう。 本当に嬉しかった。 驚愕したのは紛れもない事実だが、俺の今の感情が間違いなく喜びに該当するな んて事は、人として当然知っている。 わがままだとか、短気だとか、迷惑だとか、そんな事をぶつぶつ言っている割に 、俺もいつの間にかあいつのことを意識していたらしい。 数分前の俺に、今の俺の内心を洗いざらい打ち明けたら、多分その時の「俺」は 信じたくないと言い出すだろう。 だが。 思ってしまった物はしょうがないのである。 嬉しいと思ってしまったことは、もはや一つの完全なる事実となってしまったの である。 俺はポケットから携帯を取りだし、数回ボタンを押して、ハルヒに電話をかけた 。メールじゃねぇ。 直接ハルヒの声を聞きたかった。 何度かコールがなり、通話が始まる。 「………なによ」 震える声が聞こえてきた。 「…お前、もしかして泣いてたのか?」 「な、なんで、あた、あたしが泣かなきゃっ……ぐすっ……」 泣いてるな。今まさに。 「実はなハルヒ………」 「なによっ………ぅっ……さ、さっさと言いなさいよっ……」 「冷蔵庫の中、見たんだ」 電話の向こうで空気が凍るのがわかる。 ハルヒが息を飲み、しばらくしゃくりあげる声のみが俺の耳に届けられていた。 「………い、今から、学校に行くわ………そ、それまで待ってなさい………」 がちゃん………乱暴な音がして、電話が切れた。 通話状態のまま携帯を閉じやがったな。 「やれやれ………」 さて、あいつが来たらなんと言おうか。 俺は悩んだまま、握ったままほっぱらかしになっていたチョコレートを、ひとかけ ら。 「……………旨いじゃないか」 俺にとっての「チョコレート」は、ハルヒのだけでいい。 他の物はみんな、「チョコ」でいい………………そんなことを、俺は考えていた 。